何者でもない者の日記

旧タイトルは「法学徒って名乗りたい」。

法曹をやめた理由

 いきなりクライマックス感が強いが、これが書きたくてブログを公開しようと決めた節がある。今までずっと院試を受けると言っていたのになぜ2週間前にいきなりやめるなどと言い出したのか、たぶんこれから色んな人に聞かれると思うし、私も隠してたり後ろめたいことがあったりする訳ではないので話すのは構わないのだが、なにぶん面倒くさがりで話下手なのでここに文章としてまとめておこうと思う。

 

 ざっくりと言うと、法律が向いてないと思ったらからというのが一番の理由である。大抵のことはやろうと思えばなんとかなると思ってきたが、法律はどうしても性に合わなかった。そんなのお前の勉強不足だろうと言われれば返す言葉もない。以下に述べることはすべて逃げの言い訳である。

 

 まず私がなぜ法曹を目指したのかを述べる。最初に考え始めたのは高1の夏だった。

 私の通っていた高校では高2から文理別のクラスに分かれることになっており、進路希望を高1の夏休み明けに出す必要があった(と記憶している)。1学期までは理系に進むつもりでいた。理系科目は得意だったし、好きな科目は理科だった。

 しかし夏休みに進路について考えた結果、理系に行ったところで将来生きていけるのか不安になった。せっかく大学に行くのなら大学で勉強したことを今後の人生に役立てたいという思いがあったが、理系に進んで理系の職で生活するのは無理だと思った。今考えると視野が狭かったと思うのだが、理科の実験が嫌いなタイプだったので、これは職にできない、ならば文系に進もうと思ったのである。そして、大学で学んだことを資格として活かせる法学部に進学しようと決めたのであった。

 思い返せば、この時代から大事なことを一人で考え込んで一人で決めるという性格は変わっていないなと思う。

 

 受験で力を使い果たし、大学に入ってからはサークル活動に明け暮れる日々だった。2年になると専門科目が始まったが、法学部は授業に出なくても大丈夫という周りの話を真に受け、ほとんど授業に行かなかった。当然のように試験では散々な成績を取ってしまったので、3Sでは多少勉強した。しかし3Aではまた気が緩み、あまり勉強しなかった。この頃には勉強しても理解出来ない辛さが出てきたように思う。

 去年の冬まではサークルをがっつりやっていたので、勉強しないのをサークルのせいにしていた。サークル活動を控えれば自ずと勉強するようになるだろうと思っていた。だから3月の演奏会には出ず、心を入れ替えて真面目に勉強するつもりだった。だがそれはできなかった。

 自分は怠惰だが、やらないといけないことはできるタイプだと思っていた。だが現実は違った。差し迫る予備試験を目の前にしても、全くもって勉強する気になれなかった。そんな自分を嫌悪し、頭ではやらないといけないと分かっているのにやれないことが自身にとってストレスだった。なぜやることすらできないのだろう、と。つべこべ言わずにやれよというもっともな声が聞こえてくるが、それでもできなかった。

 湊かなえの『告白』という小説に、『「やればできる」のではなく、「やることができない」のです。』という一文がある。人生ことあるごとにこの言葉を思い出すのだが、この時ほど身にしみたことはなかっただろう。とても面白い小説なのでオススメです。

 春休みに人生の変動があり、それまで法曹のどれになるかを決めていなかったのが弁護士を目指そうという気になった。4Sは院試のためにGPAを上げなければならず、大学4年間で最も真面目に授業を受けた。また、サークル活動を控えても勉強するようになるわけではないと分かったので、逆に演奏機会をねじ込んだ。自分を追い込んでいく作戦だった。演奏会2つで心を病んだりしたが(笑)、4Sはなんとか人権ある成績を取ることができた。授業に出て録音して後で聞き直して復習すれば理解できるんだと分かった。

 

 あー書くのめんどくさくなってきた!そもそも思考をこねくり回すのが嫌いなんですよね、めんどくさくて。そんなん考えてもしょうがないし時間の無駄だと思ってしまう。私の頭の中は考えたことより感じたことのが多くを占めている。論理的思考などない、フィーリングで生きている人間なんです。

 

 話を元に戻す。東大に受かる自信はなかったので、早稲田のロースクールを受験した。Sセメの試験が終わってひと月もなかったが、自分の中で勉強スタイルを定めることができ、なんとか合格した。東大に対するこだわりもないので、東大に落ちたら早稲田に行こうと本気で思っていた。当時はまだバリバリ法曹になるつもりであった。

 9月はだいぶ腑抜けていたが、それでも勉強する気はあった。友人に勉強会に誘ってもらったり、勉強の記録をつけたりし始めてモチベーションを保とうとしていた。

 雲行きが怪しくなってきたのは10月後半くらいである。7科目あるうち、商法が大の苦手でずっと後回しにしていた。でもそろそろ本気でやらないとまずいのでなんとか頑張ってやろうと思ったのだが、心が拒絶し始めた。問題集を開いても集中できないし、教科書を読んでも目が滑る。でも必須科目なのでやらないと落ちる。他の科目を勉強しても商法のことが頭に引っかかり手に付かなくなる。でも商法は進まない。この悪循環の中、本当に法曹で生きていくことができるのかを考えた。

 ロースクールに進んだら、周りは今まで法律の勉強を頑張ってきた人ばかりだろう。そんな中にいやいや法律をやってきた人間が入ったらどうなるか。たとえ卒業できたとしても司法試験に受からなければいけない。努力してる人でさえ受からないのにどうして努力もできない自分が受かるだろうか。そもそも院試の勉強でさえこんなに嫌になってしまったのに、残りの人生をすべて法律の勉強に費やすことはできない。そもそも法律というのは一義的なルールとしてあるべきだと思っていたのに、文言解釈により複数の意味で捉えられ、学説の対立で180度意味が変わることもある。なんだそれは!そんな曖昧なルールで人を縛れると思ったら大間違いだ!法律なんてクソだ!

 ということで法律に対するモチベーションが0になってしまった。勉強してて楽しいこともあったし、なにより弁護士になりたいという夢があったので本当にやめるかは迷った。今もまだ心の片隅では迷っている。しかし今は、今後職業として法律を続けていく気にはなれない。だから院に進むことをやめた。

 

 今まで費やしてきた時間、労力を鑑みると、やめるのはもったいない気もする。たぶん一年ダブって最初から勉強しなおせば人並みにはできるようになると思う。一度始めたことを途中で放り出すのはあまり好きではない。でもそこまでしてなりたい夢だったかと言われるとそうでもない気がしてきた。過去の記録を見直すと、春頃にも就職するか迷っていたようである。その時は自分の気持に蓋をしてとりあえずやれるところまでやってみようという思いであったのだろうが、半年くらい比較的真面目に勉強して向いていないと分かったので、もういいんじゃないだろうか。

 あと思い出したが、進路に疑問を抱き始めたのは9月終わり、初対面の人と話す機会があった時だったな。東大法学部在学中でロースクールに行くつもりですと話すと、勉強が好きなんですかと聞かれた。その時自分の口から出てきた言葉は、「勉強は好きというわけではないですが、一度走り始めてしまった以上、もう止まれないんです」というものだった。その言葉はよく考えて発した訳ではなかったが、紛れもなく本心だった。その時、あぁ、自分はやりたくてやってるのではなく、惰性で動いてるだけなんだと気付いてしまった。そこから基盤が崩れるのは早かった。

 

 以上のような理由から、法曹をやめることを決めた。早稲田の学費の期限が12月頭なので、そこまでに気が変わらなければ留年して就活をしようと思っている。ぶっちゃけ法曹になるより就職するほうがよっぽど自分に向いていると思う。

 

 一言付け加えるなら、私は自分の選択に自信を持っているので、気を遣わなくて大丈夫です。全然病んでませんし、元気です(笑)。メンタルは比較的安定しているほうだと自認しています。なのでこの件についてばんばん突っ込んでもらって構いません。

 

 自分で書いていて言い訳以外の何物でもなく、公開するのはお恥ずかしいのだが、これが私ですということで出してしまおうと思う。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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